ヨマン・シュロモー יומן שלמה
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ロシアのプーチン大統領がイスラエルを歴史的訪問(27日)
2005-04-28-Thu  CATEGORY: 政治
ロシアのプーチン大統領は4月27日、ロシアの大統領としては初めてイスラエルを訪問した。二日間の滞在中プーチン大統領はシャロン首相、カツァヴ大統領らと会談、またホロコースト記念館では、ロシア兵としてナチスと戦い、現在イスラエルに住んでいる市民らの歓迎を受ける。また28日にはラマーラを訪問し、パレスチナ自治政府のアッバス議長やアブ・アラ首相と会談する。
プーチン大統領はこの秋にモスクワでイスラエル-パレスチナの平和会議を開催するという提案を持って今回の訪問に望んでいるが、イスラエルやアメリカは現在受け入れていない。シャロン首相との会談では、ロシアのシリアへのミサイル供与の問題、イラン核開発への支援問題などが重要議題として取り上げられる。
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エゼル・ワイズマン元大統領死去
2005-04-26-Tue  CATEGORY: ニュース
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イスラエル第7代大統領、エゼル・ワイズマン氏は24日、カイザリヤの自宅で死去した。享年81歳。ワイズマン氏はここ数ヶ月思い肺炎などで入院を繰り返していた。ワイズマン氏はイスラエル初代大統領、ハイム・ワイズマン博士の甥で、イスラエル空軍の創設者の一人。国防相など五回閣僚を務めた後、1993年イスラエル第7代大統領に選ばれた。エジプトとの和平の立役者の一人であり、PLOとの接触が違法であった時代にPLO幹部と会うなど、積極的にアラブとの和平に関与した。
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合意撤退への動き(20日)
2005-04-21-Thu  CATEGORY: 政治
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ガザ入植地の撤退は、もともとパレスチナ側との合意に基づかない、「一方的撤退」の予定であったが、アッバス政権の誕生で話し合いの基盤が出来つつあるため、「合意撤退」への機運が高まっている。イスラエルにとっては、撤退により「テロ攻撃に屈した」という誤ったメッセージをパレスチナ過激派に与えないためにも、合意撤退が望ましい。
20日にはペレス副首相が、「イスラエルのガザ撤退案への合意は西岸地域の入植を認めることになる」と強硬に合意に反対しているパレスチナのアブ・アラー首相と会談を持ち、合意への賛同を説得する。またイスラエルのモパズ国防相はパレスチナの治安責任者、ダハラン氏と会合を持ち、合意撤退を目指す。
アッバス氏もすでにガザ撤退を「合意撤退」とすることに前向きな姿勢を見せている。

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入植地撤去時に、パレスチナ過激派の攻撃の懸念(17日)
2005-04-18-Mon  CATEGORY: 軍事・防衛
イスラエル政府はガザ入植地の撤去がユダヤ人同士の流血に発展しないよう最大の注意を払っているが、イスラエル国防軍の調査ではむしろパレスチナ過激派の攻撃が行われるのではという懸念が強まっている。今月ガザで発生した三人のパレスチナ青年の射殺事件以降、ガザ地区でテロや武器密輸の試みが急増している。パレスチナ警察の治安能力は過激派の行動を抑えることはできておらず、ここ数ヶ月の平穏な状態はアッバス氏の手腕ではなく、単に過激派の自主的な判断であったとの見方も出始めている。
また軍情報部によれば、現在パレスチナ諸組織の中ではファタハが内部の権力争いに力を使っているのに対し、ハマスはヒズボラやイランの資金援助も受けつつ、福祉、教育などの活動で一般民衆への支持を強めている。パレスチナでは6月に地方選挙、7月に立法中央委員会(国会)の選挙が行われるのであるが、ハマスの勢力拡大は確実な情勢である。
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80発の迫撃砲、入植地を襲う(10日)
2005-04-11-Mon  CATEGORY: 軍事・防衛
9日(土)の午後、ガザ-エジプト国境で三人のパレスチナ青年がイスラエル兵の銃撃によって殺されたことをきっかけに、ガザからユダヤ人入植地、グッシュ・カティーフへの迫撃砲攻撃が続き、打ち込まれた砲弾の数は80発に上った。
イスラエル軍の発表によると、9日、エジプトからの武器密輸がもっとも頻繁に行われる、「フィラデルフィー地区」で、腹ばいになってエジプト国境に向かうパレスチナ人数名を発見、エジプト国境に向けて走り出したところを銃撃した。ガザの治安責任者、ムーサ・アラファット氏も「武器密輸人である」と認めているが、パレスチナ過激派らは「サッカーをしていただけだ」と主張、イスラエルに向けての攻撃を開始した。
イスラエルは現在、反撃をしない「忍耐政策」をつづけており、10日夜にはモパズ国防相がアッバス議長と会談、「ガザの沈静化」を要求した。
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カッツァヴ大統領、教皇の葬儀で歴史的握手(8日)
2005-04-09-Sat  CATEGORY: ニュース
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ヨハネ・パウロ2世の葬儀に参列したイスラエルのモーシェ・カツァヴ大統領は、現在イスラエルにとって最大の敵であるイラン、シリア両国の大統領と歴史的な握手を交わした。
カツァヴ大統領が語ったところによると、祈りが捧げられている間、各国の参列者たちは互いに祝福を送りあっていたが、その時間、近くに座っていたアサド大統領の方からカツアヴ大統領に手を差し出してきたとのこと。
その後式典が終了し、各国の参列者が退席するときに、カツァヴ大統領は偶然イランのハタミ大統領とかち合ったが、この時もハタミ大統領の側から手を差し伸べてきた。実はカツァヴ大統領もハタミ大統領も同じ、イランのヤズドという町の出身であり、カツァヴ大統領はイラン語で挨拶を交わし、お互いの出身地についてなどを語り合ったという。

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ローマ教皇の葬儀にカッツアヴ大統領が参列(5日)
2005-04-05-Tue  CATEGORY: ニュース
ユダヤ教、またイスラエル国との歴史的関係改善に努めてきたローマ教皇、ヨハネ・パウロ二世の死去を受け、8日に執り行われる葬儀にイスラエルからはモーシェ・カッツアヴ大統領が参列することとなった。政府内では当初外務相を代表とする案もあったが、ヨハネ・パウロ二世がユダヤ教との和解に対すて果たした役割りの大きさを考え、また1993年に始まったばかりのヴァチカンとの完全な外交関係を尊重するため、国家元首が参列することが相応しいと判断された。さらにユダヤ教界の代表も参列すべきとの声もある。

-ユダヤ教との和解の歩み-

ヨハネ・パウロ二世が生まれ育ったポーランドのワドビッツェは人口8,000人のうち2,000人がユダヤ人という町であったが、両親は反ユダヤ的考えを持たず、ヨハネ・パウロ二世もユダヤ人の友人を持って育ち、第二次世界大戦中にはユダヤ人救済のためにも活動した。歴代教皇の中で彼のユダヤ教への理解は突出していた。教皇に選出されてからは、精力的にユダヤ教との和解に動いた。

1979年、ポーランド訪問時にアウシュビッツを訪問
1986年、ローマのシナゴーグを訪問、ローマの首長ラビと抱きあい、祈りを捧げる。その後ローマのユダヤ人に向かい「あなた方は私達の兄にあたります」と語りかける。
1993年、イスラエルとヴァチカンの間に国交樹立
2000年、イスラエルを訪問。西の壁では、キリスト教によるユダヤ教迫害の歴史に許しを求める言葉を石の間に挟みこみ、祈りを捧げた。さらにエルサレムのホロコースト記念館を訪れ「これまでのユダヤ人に対する憎しみ、迫害に深く心を痛め、キリスト教徒がこれまで行ってきたどの時代のの、どの場所で行われた反ユダヤ的行為をも非難する」と、迫害の歴史を謝罪した。
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入植者の武器強制押収はない
2005-04-01-Fri  CATEGORY: 政治
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ガザ入植地撤去を実行する際、入植者たちが武器を取って抵抗する事態を想定して、事前に武器を強制押収するかどうかについて治安当局で議論されていた問題について、ギドン・エズラ国内治安相は入植者団体の代表に対し、「武器の強制押収はしないが、入植者が自主的に武器の一時保管に応じる」よう伝えた。一方、撤去を実行する警官や兵士は武装はしない、とも語っている。
また警視総監のモーシェ・カラディー氏は入植者団体の代表に対し、「警察は入植者たちが自らの抗議の意思を何らかの形で表わすことに当然同意している。しかしそれは法律の枠を超えてなされてはならい」と伝え、暴動や道路封鎖などの手段による抗議行動は許されないとの警察の立場を明確にした。
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