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2008夏イスラエル
2008-08-29-Fri  CATEGORY: 未分類
8月18日~28日まで、イスラエル11日間の旅に行ってきました。今回の旅行は、京都でヘブライ語を学習中のIさんとその婚約者Yさんの旅行にガイドとして同行したものです。旅行の様子をところどころ紹介します。
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イスラエル到着後、エルサレムで一泊したあと、テルアビブのスデー・ドヴ空港から飛行機でエイラットに向かい、そのままシナイ半島に入りました。国境のタバでセント・カテリーナまでのタクシーの値段交渉。エイラットで乗ったタクシー運転手に「イスラエルで働くガイドのふりをしてヘブライ語で交渉すれば、安くなるよ。」とアドバイスされたので、ヘブライ語でまくし立てて交渉。向こうの提示は三人で往復1200リラ(約240ドル、観光客一般の値段は往復300ドル)のところ、なんとか750リラ(約150ドル)まで値切った。しかしクーラーのない車をあてがわれ、暑かった!
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エイラット近くの、コーラル・アイランド前で。
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セント・カテリーナのホテルから、シナイ山の見事な姿を望めます。
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シナイ山頂からの日の出。地平線に雲がかかり、雲のフィルターのかなたに太陽が姿を現しました。私は約18年ぶりのシナイ登山でしたが、清潔なホテル、山頂でのトイレ整備など多少観光地化を感じたものの、シナイ山の神秘さは全く変わりませんでした。
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夜はエイラットに戻って夕食。お皿に大量に盛られたシュワルマのおいしそうなこと!夕方になれば涼しいかと思えば夜まで空気は生暖かく、大阪の夏の夜のようでした。
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エイラットからレンタカーでマッサダ、死海方面に向かいました。この日の気温は42度。真昼にマッサダに上ると、フライパンにのっているような厳しい暑さのせいか、観光客もまばら。
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ガリラヤ湖に向かう途中、キブツ・ヘフチバの日本庭園とシナゴーグを見ようと立ち寄ったところ、ちょうど幕屋留学生のキブツへの感謝を表す「たなばた祭り」の日でした。なんと「黄金のエルサレム」で有名な歌手、シューリー・ナタンさんが来ておられ、記念撮影。私も恩師の先生や里親と再会でき、感謝でした。
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ガリラヤ湖畔のキブツ・ゲノサレの古代船を見に行ったら、売店に私のヘブライ語教室に来ておられる方が翻訳した日本語の本が並んでいたのでびっくり。
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夜はガリラヤから二時間以上車を飛ばして、ハデラの近くに住むテルアビブ大学のアビグドール・シャハン博士宅を訪問。博士は失われた10部族研究の第一人者で、30年に渡ってその足跡を追い求めて研究と調査を続けてこられました。先日ヘブライ語の著書を送っていただいたのですが、この日は英語の翻訳本をいただきました。今後日本語訳のためにがんばります。
帰りは真っ暗な上、慣れない道路で何度か迷い、しかもイスラエルでは一般道でもみんな100キロ以上の猛スピードで飛ばすので、神経をすり減らしながらティベリヤのホテルに帰り着きました。
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エルサレムでは、朝6時に西の壁に出かけました。お二人が「有名な地下トンネルに入りたい」と希望されたので、本来事前予約が必要なので無理だと思いながら受付のおじさんと交渉。おじさんは「何とかしてあげよう」と言って、なんと受付を担当する管理事務所を通さずにパソコンを操作し、9時40分からのヘブライ語ガイド付きのツアーにねじ込んでくれました!!感謝!感激!写真は8メートルある巨大な城壁の石。
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ガイドのアリーザさん。彼女は「私はいわゆる宗教家ではありませんが、この西の壁に触れる時、2000年に渡って祈られ続けた『エルサレムに帰るんだ』という父祖たちの祈りを感じます。その祈りのおかげで今私がここにいるのだと。そして一世代でもその祈りが途切れていたなら、今のイスラエルはないのだと」という言葉でガイドを締めくくりました。20代そこそこでこのような内容を、自分の言葉で語れるところがイスラエルのすごさだと感じました。
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今回ユダヤ人地区で見た最大の驚き。イスラエル独立戦争後に破壊されたままになっていた、ユダヤ人地区の「ランバン・シナゴーグ」が再建中でした!ガイドブックには往時のシナゴーグを偲ぶ入り口のアーチの写真しか載せていないものがほとんどなので、要書き換えです。
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昼食にユダヤ人地区で食べたボリュームたっぷりのハンバーガー。巨大な300グラムのハンバーグ入り。イスラエルは何でも量が多い!
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神殿の丘に上がり、アル・アクサ寺院と岩のドームに入ろうとすると、どちらでも「異教徒は入れない」と追い出されました。他の観光客らも文句たらたらでしたが、仕方がなく退散。いつからああなったんでしょう。
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イスラエル博物館のカフェテリアでソーダを飲んでいると、隣のテーブルに座ってお茶を飲んでいるのは死海文書研究の世界的権威、イマヌエル・トヴ教授ではありませんか!目を疑いましたが「もしかしてトヴ教授ですか」と挨拶すると、「おー、君を覚えているよ」とのお返事。私は20年前に生徒だったのです。感激の再開でした。こういう方とばったり出会えたりするのがエルサレム。
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御両人の希望で、オリーブ山に建つモルモン大学も見学。たった三人の見学者のために、丁寧なガイド、ホールでのパイプオルガン演奏など、心づくしの歓待でした。写真は庭から眺めた風景。

帰りの飛行機は、香港までの10時間ほとんど寝続けました。最後の失敗は、ベングリオン空港で買ったワインとオリーブオイルが、香港でトランジットをする時のセキュリティーで引っかかり没収されたこと。トランジットの前に液体を買ってはいけないと、高い授業料を払いました。仕方なくキャセイ・パスィフィックの係員にプレゼントしました。
そういえば、今回はエルアルのセキュリティーでも、私は特に厳しくチェックを受けました。イスラエルに定期的に入国しているし、今回はグループでもないし、ヘブライ語をけっこう話すし、いろいろ彼らのマニュアルに引っかかる要素があったようです。
エイラットに飛ぶ時のチェックでも「ガイドに来た」と言うと、「どこかガイドをしてみて下さい」とまで言われる始末。カペナウムのガイドをヘブライ語ですると、納得してくれましたが。観光大臣や大使の名刺、シャハン博士からの招待状なども持っていましたが、いろいろ出すと逆にややこしくなる可能性もあるので、「ヘブライ語のトレーニング」というつもりで丁寧に対応しました。まあ、ここまでやってこそイスラエルですね。パレスチナ自治区のベツレヘムからイスラエル側に戻る時には、トランクを開けられたのですが、若い女性兵士が中までしっかり調べないので「そんないい加減な調べ方じゃ、爆弾持ち込まれるぞ」と却って心配になりました。もちろん空港と検問所とではレベルは違いますが、やはりセキュリティーは厳しいほうがイスラエルらしいということでしょうか。
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お知らせ!!
2008-08-07-Thu  CATEGORY: ヘブライ語
お詫びとお知らせ
8月は外出が多く、メルカズ・タル・オロットの仕事が休みがちになり、添削の返送や資料の送付などが多少遅れる場合が出てくるかと思います。大変御迷惑をおかけしますが、どうか御了承をお願いいたします。

まず今日(7日)から10日間の予定で北海道に行きます。
その後18日からまた約10日間、イスラエルに行きます。

では皆様、良い夏をお過ごし下さい。


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