ヨマン・シュロモー יומן שלמה
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美濃吉の大失態で危機一髪
2010-02-17-Wed  CATEGORY: 未分類
もう一つ書いておきたいのが、ベンシトリット大使ご夫妻を囲んだ懇親会でのエピソード。当初、天王寺駅前の都ホテルを使って、もっとたくさんの人たちに出席していただく懇親会を考えていました。しかし大使があまり長く残れないということなので、急きょ同じ阿倍野区民センターの一室でお弁当を取り、20人限定の懇親会を持つことにしました。そこでお弁当を頼んだのが、天王寺近鉄デパートの美濃吉。担当の女性が何度か出かけ、味見もしっかりして、客人たちに失礼のないように準備を進めました。

ところが当日、イベントも終了してベンシトリット大使や山谷議員らがそろそろ懇親会場においでになろうときに、接待責任者が血相を変えて飛んできました。「お弁当、6時に間に合わないかもしれません!!」と言うのです。
聞いてみると、当日になって美濃吉に確認の連絡をしてみると、「明日ではないのですか?」という返事をしてきたとのこと。あろうことか注文の日取りを間違えていたのです。それが判明したのが懇親会スタートの約1時間前。
全員が懇親会場に集合してもまだお弁当は届きません。幸い司会を務められた親善協会の神藤会長が、上手に場をもたせて下さっているうちに弁当が到着しはじめましたので、大恥をかかずにすみました。
しかし、これは本当にあってはならないミス。私たちのスタッフは、みな結構質素な格好をしている場合が多いので、美濃吉でもそれほど大切な客と思わなかったのでしょうか?
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エミールさんとの対話
2010-02-17-Wed  CATEGORY: イスラエル
アコーディオニストのエミールさんと数日一緒に過ごす中で、いろいろな対話がありました。
その内容がとても興味深いものでしたので、少し紹介しましょう。

1)なぜアコーディオンを始めたのか
エミールさんがまだ6歳のころ、故郷のモルドバに住んでいた。エミールさんは貧しい家庭で、向いに金持ちの家庭があり、その家の子供が週になんどかアコーディオンのレッスンを受けていた。エミールさんはレッスンの様子を毎回毎回ずっと外に立って眺めていた。それが何カ月も続くので、アコーディオンの先生(女性)が、エミールさんの母親に会いに来た。
「6歳の子供がレッスンの間中、身動き一つしないでずっと立って聞いている。あの子はどこか精神を病んでいるか、とてつもない天才かどちらかだ。アコーディオンを習わしてみませんか」と言われた。しかし貧しい家庭だったので母親は「そんなお金はない」と答えた。するとその女性の先生は、なんとアコーディオンをエミールさんにプレゼントして下さり、半年間ほぼ無料のようなレッスン料金で教えてくれた。
エミールさんは半年で、ふつうの子どもが三年かかって学ぶほどの上達をした。その後その先生が別の先生を紹介してくれてさらにアコーディオンを学び続けた。

2)イスラエルの帰還する時の夢の話
イスラエルに帰還したのは1990年。帰還しようと決めたのは、もちろんこの時代に旧ソ連から大量のユダヤ人が
イスラエルの帰還するという大きな波があったからだが、それ以前にモルドバではものすごく強い反ユダヤ主義があった。音楽アカデミーに入る時もユダヤ人というだけで高額なお金を積まなければ入学もさせてくれない。(これについても感動的な話があるのですが、今回は割愛)
プロになってあるコンサートに出演して、自分がソリストとして演奏しても、自分の名前が「アイビンデル」というユダヤ名なので、名前さえ皆の前で紹介されない、など、あからさまな反ユダヤ主義があったから、ためらわずイスラエル帰還をした。

イスラエルに向うほんの数日前、ある夢を見た。それはエルサレムのレストランでアコーディオンの演奏をする夢であった。やがてイスラエルに帰還し、ある日エルサレムのレストランと演奏の仕事を契約することになった。
契約を終わって周りを見てみると、はじめて行ったレストランのはずなのになぜか見覚えがある。しかし奥さんのローザさんに「たしかにここには以前来たことがある」と話しても、「そんなわけないでしょう!」と言われる。
それでよくよく思い出してみると、イスラエルに来る数日前の夢でみた風景が、そのまま現実になっていることに気付いた。

3)ローザ夫人への愛
このように、じつにドラマチックな人生を歩んで来られたのですが、その背景にはローザ夫人の献身的な支えがあったのでしょう。奥さんへの愛情の深さは尋常じゃありませんでした。
面白いエピソードを聞きました。かつてエミールさんがある若い女性歌手と共演したときのことです。コンサートのあと、その歌手がエミールさんに「記念撮影してください」と言いながら近づいてきて、肩を組むようにして写真を写したそうです。それを見ていたローザさんが「それ以上、近づいちゃダメ!」と叫んだので、エミールさんは危険を察知し、それ以来二度と彼女とは共演しなかったとか。エミールさんいわく「ローザを失いたくないからね」。

今回、ある歓迎会で女性数名が、北海道開拓時代の苦労を歌った演歌「石狩川」の踊りを披露してくれる場面がありました。その歌詞の内容に「母も女房も強かった」とありますが、その内容を聞いたエミールさん、すかさず「これはローザの歌だ」。エミールさんがどんなに頑張っても、実力があっても、反ユダヤ主義で苦しんだモルドバ時代、またイスラエル帰還をしてからのさまざまな苦労の時代、本当にローザさんが支えておられたんだな、とうことを痛感しました。

最後のおのろけは、京都で舞子さんの踊りを見たあとのこと。こっそりと、大真面目な口調で耳打ちしてくれました。「彼女は本当に美しい。でもローザの若いころは、もっと美しかったぞ」。




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エミール夫妻と京都見学
2010-02-17-Wed  CATEGORY: イスラエル
maiko
シャローム・イスラエルの翌々日、2月15日(月)は、アコーディオニストのエミールさんご夫妻と京都見物に出かけました。午前は東寺と京都御所を見学、昼食は精進料理の京懐石を出してくれる閑臥庵というお寺で取りました。このお寺は第108代後水尾天皇に由来する由緒ある禅宗のお寺だそうですが、実はこのお寺の執事を務めておられるYさんが私のクラスでヘブライ語を勉強されています。そこで彼が今回労を取って下さり、日本庭園付きの一番良い部屋を準備してくれていました。
さらに会社社長である私の叔父がスポンサーになり、以前ブログで紹介したつる居さんにお願いして、舞子さんにも来ていただきました。京都を満喫する、とても優雅な昼食のひと時となりました。
舞妓さんが到着するや、エミールさんは一緒に写真をとりながら「こんどこの写真をポスターにして、コンサート用に使おう!」と大感激。舞妓さんの洗練されたしぐさ、踊り、雰囲気には接待する私たちもほれぼれしました。しかし舞妓さんの厳しい訓練や生活の話を聞いた奥さんのローザさんは一言「イスラエルの軍隊より厳しいわね」。
エミールさんはイスラエルで最も有名な舞踏団の一つ「オール・イェルシャライム」の音楽監督もしておられますが、「今度ぜひ、舞妓さんとのコラボレーションをしよう」と大張りきりでした。

京都でもう一つ感激されたのが、JR京都駅。ローザさんは建築の勉強もされたことがあり、昨日奈良の平城京跡や東大寺を訪ねた時も、伝統的な日本の建築方法に興味を示されたのですが、京都駅のつくりには本当度肝を抜かれていたようでした。「世界じゅうを回ってきたけど、こんな素晴らしい駅は見たことがない。まるで宇宙ステーションだ」と、巨大な空間を演出いしている建築物を驚きの目で眺めておられました。

ご夫妻は夕方、関空から次の訪問地である札幌に向われました。3月には私たちのイスラエル研修ツアーが出る予定ですが、エミールさんは別れ際「エルサレムに来る数日前に我が家に電話しろ。まる一日仕事休んで君らのために取っておく」とまで言って下さったので感激でした。私たちの滞在中に、エミールさんの演奏がどこかで聞けると嬉しいですね・・。
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